2011年09月29日
西野水道ものがたり

以前、ブログで取り上げた「西野水道まつり」。
そこで初めて、1846年に完成した西野水道を通ってきました


このお祭りの最中に、西野水道をアピールしておられた
おじいちゃんたちを発見

ちょっとお話を聴きたくってナンパしたところ、大成功

なんとこのおじいちゃんたち、地域歴史を研究する「西野
郷土研究会」のみなさんで、このお祭りや西野水道の歴史
について、教えていただきました

【西野水道の歴史】
1840年、古くから余呉川が氾濫するたびに田畑が浸水し、飢餓に苦しんできた西野村(長浜市高月町西野)を救うため、同村出身の充満寺住職西野恵荘が、田畑に溜まった水を琵琶湖へと放水させる放水路「西野水道」を掘る事業を発起。同村民らは村の将来のため財産を売却することで資金をつくり、能登や伊勢の石工の協力を得ながら、6年間かけて琵琶湖に面した山裾の固い岩盤を掘り抜き完成させた。

この方が、充満寺住職西野恵荘です。

続いて、当時の石工。

西野村の住民。
「先人たちの喜びと苦労を忘れないように」と、昭和59年年に設立した「西野
郷土研究会」のみなさんが、当時の様子を後世に伝えようと、リアリティーのある
人形を手作り、地区の集会場に展示しています
また西野水道の歴史は、小学校の教材にも取り上げられたことから、全国から
小学生が見学に来ることもあるのだとか。その時に、同研究会のみなさんが
この人形で解説されるのだそうです

その他にも、地域の地名(小字名)が風化するまえに記録をしておきたい。
と、模型も制作されておりました。
よくよく小字名を見てみると
、
「流レ」といった地名が表示されているのが分かります。

また、「西野水道まつり」も同研究会が企画しており、今年で27回目
を迎えました。

住民を巻き込んだこの祭りから、そして同研究会の活動から歴史や
生活文化・地理といった歴史を後世へ托そうとしているこの活動が、
”まちづくり”へと発展。
昭和61年の滋賀県「わがまちを美しくコンクール」でみごと金賞
を受賞されました
この受賞がさらに同研究会、地域の自信や誇りへと繋がり、
現在は「若い人たちに同研究会の参加を呼びかけたい」と張り切って
活動しておられます
harumi
1840年、古くから余呉川が氾濫するたびに田畑が浸水し、飢餓に苦しんできた西野村(長浜市高月町西野)を救うため、同村出身の充満寺住職西野恵荘が、田畑に溜まった水を琵琶湖へと放水させる放水路「西野水道」を掘る事業を発起。同村民らは村の将来のため財産を売却することで資金をつくり、能登や伊勢の石工の協力を得ながら、6年間かけて琵琶湖に面した山裾の固い岩盤を掘り抜き完成させた。






「先人たちの喜びと苦労を忘れないように」と、昭和59年年に設立した「西野
郷土研究会」のみなさんが、当時の様子を後世に伝えようと、リアリティーのある
人形を手作り、地区の集会場に展示しています

また西野水道の歴史は、小学校の教材にも取り上げられたことから、全国から
小学生が見学に来ることもあるのだとか。その時に、同研究会のみなさんが
この人形で解説されるのだそうです


その他にも、地域の地名(小字名)が風化するまえに記録をしておきたい。
と、模型も制作されておりました。
よくよく小字名を見てみると

「流レ」といった地名が表示されているのが分かります。
また、「西野水道まつり」も同研究会が企画しており、今年で27回目
を迎えました。

住民を巻き込んだこの祭りから、そして同研究会の活動から歴史や
生活文化・地理といった歴史を後世へ托そうとしているこの活動が、
”まちづくり”へと発展。
昭和61年の滋賀県「わがまちを美しくコンクール」でみごと金賞


この受賞がさらに同研究会、地域の自信や誇りへと繋がり、
現在は「若い人たちに同研究会の参加を呼びかけたい」と張り切って
活動しておられます


Posted by 木野環境 at 10:00│Comments(0)
│【長浜市】