
2011年06月15日
大庄屋諏訪屋敷
守山の古い集落赤野井(あかのい)を歩いていると立派なお屋敷に出会いました。
大庄屋諏訪屋敷
江戸時代に大庄屋を務めた諏訪家のお屋敷です。築250~300年ということです。

枯山水池泉回遊(かれさんすいちせんかいゆう)式の庭園は民家に残るものとしては貴重
母屋は茅葺で書院造風武家造り、ほかに土蔵、茶室があり、茶室は明治維新の後、大津の円満院からの移築。

裏の天神川から屋敷地内へ船が出入りできるように石垣が工夫されています。
ここはNPO法人びわこ豊穣の郷「守山の水辺百選」にも選定されました。
NPO法人びわこ豊穣の郷
http://www.lake-biwa.net/akanoi/
琵琶湖がはぐくんできた豊かな水環境を守り育て、次世代に伝えていくため活動しています
守山の水辺百選
市民の協力をいただき、守りたい、残したい、次世代に伝えたい身近な水辺を選定しました。
過去の記事はこちら 記事
さて、お屋敷の写真を撮っていたら、偶然ご主人がいらっしゃいました 続きを読む
大庄屋諏訪屋敷
江戸時代に大庄屋を務めた諏訪家のお屋敷です。築250~300年ということです。
枯山水池泉回遊(かれさんすいちせんかいゆう)式の庭園は民家に残るものとしては貴重
母屋は茅葺で書院造風武家造り、ほかに土蔵、茶室があり、茶室は明治維新の後、大津の円満院からの移築。
裏の天神川から屋敷地内へ船が出入りできるように石垣が工夫されています。
ここはNPO法人びわこ豊穣の郷「守山の水辺百選」にも選定されました。
NPO法人びわこ豊穣の郷
http://www.lake-biwa.net/akanoi/
琵琶湖がはぐくんできた豊かな水環境を守り育て、次世代に伝えていくため活動しています
守山の水辺百選
市民の協力をいただき、守りたい、残したい、次世代に伝えたい身近な水辺を選定しました。
過去の記事はこちら 記事
さて、お屋敷の写真を撮っていたら、偶然ご主人がいらっしゃいました 続きを読む
2011年06月06日
中山道 守山宿せんべい

春さくら
夏ホタル
道
秋稲穂
冬菜の花に
人此処集り
行ってみたくなるコピー

お味は、この素朴な焼印の焼き菓子。卵と小麦粉、お砂糖でできております。
ちょっと、想像つく方もおられるかも

ほんのり甘く懐かしい味でした


タグ :守山宿せんべい
2011年06月01日
守山の水辺百選
守山市には、網の目のように川や水路が流れている
ってこと、みなさんご存じでした?
(流れる水は、野洲川の湧水なんだって!!)
私は...知らなかった、NPO法人びわこ豊穣の郷さんが発行している
「守山の水辺百選」パンフレットを見るまでは

多くの水利遺跡やお年寄りたちが水辺で遊んだ水辺が残っている守山。
それらが失われ、人の記憶からも風化しようとしている。
今こそ、「守りたい・残したい・次世代に伝えたい身近な水辺を!」
と守山市住民が選定した水辺を掲載したのがこのパンフレット
このパンフレットを見て、現地に行ってみたい
話しを聞いてみたい
ということで、さっそく取材へ行ってまいりました
(取材内容は、また後日...
)
「守山の水辺百選」をあるこう
●大切池(おおぎり池)

野洲川水系以外から湧く井(つぼ井)
昔は農業用水を溜めていたそうです。
●三津川河川公園

江戸時代、「自分たちの在所に、水を!!」と水争いが頻繁にあった地域。
それを解消に導くため、1つの河川を3本に分水させた河川。
現在の三津川はそれを復元したもので、歴史をつたえるための公園
となっています。
川には、コイ
が泳いでいたり、6月にはホタルも出現するとか
▼説明はこちら

↑この画像をクリックすると、大画面になり説明が読めます☆
●レンガ張りの水路

明治22年、JR琵琶湖線が開通したときに造られたレンガ積みの三連橋。
レンガは当時のままだそうです。
近所の人たちも、この風景には気づいていなかったとか
ロマンがあります
●油池

守山市には、昔、溜池があったとか場所が地名や交差点名として
よく残っているそうです。
「ここには、大きい池があったんや」と、油池もその一つ。
↓

現在は、油池の池は埋め立てでなくなってしまったけれど、
懇々と水が湧いていますよ
と、「守山の水辺百選」は80カ所もの水辺が紹介されています
まだまだ、守山にはたくさんの水辺があるので、
みなさんも「自分の水辺」を探してみてください
私の水辺は...
実家近くの溝(よく小さなな魚やザリガニをつってた)や琵琶湖かな(笑)
HP:NPO法人びわこ豊穣の郷
haurmi

ってこと、みなさんご存じでした?
(流れる水は、野洲川の湧水なんだって!!)
私は...知らなかった、NPO法人びわこ豊穣の郷さんが発行している
「守山の水辺百選」パンフレットを見るまでは


多くの水利遺跡やお年寄りたちが水辺で遊んだ水辺が残っている守山。
それらが失われ、人の記憶からも風化しようとしている。
今こそ、「守りたい・残したい・次世代に伝えたい身近な水辺を!」
と守山市住民が選定した水辺を掲載したのがこのパンフレット

このパンフレットを見て、現地に行ってみたい


ということで、さっそく取材へ行ってまいりました

(取材内容は、また後日...



●大切池(おおぎり池)
野洲川水系以外から湧く井(つぼ井)
昔は農業用水を溜めていたそうです。
●三津川河川公園
江戸時代、「自分たちの在所に、水を!!」と水争いが頻繁にあった地域。
それを解消に導くため、1つの河川を3本に分水させた河川。
現在の三津川はそれを復元したもので、歴史をつたえるための公園
となっています。
川には、コイ


▼説明はこちら
↑この画像をクリックすると、大画面になり説明が読めます☆
●レンガ張りの水路
明治22年、JR琵琶湖線が開通したときに造られたレンガ積みの三連橋。
レンガは当時のままだそうです。
近所の人たちも、この風景には気づいていなかったとか

ロマンがあります

●油池
守山市には、昔、溜池があったとか場所が地名や交差点名として
よく残っているそうです。
「ここには、大きい池があったんや」と、油池もその一つ。
↓
現在は、油池の池は埋め立てでなくなってしまったけれど、
懇々と水が湧いていますよ

と、「守山の水辺百選」は80カ所もの水辺が紹介されています

まだまだ、守山にはたくさんの水辺があるので、
みなさんも「自分の水辺」を探してみてください

私の水辺は...
実家近くの溝(よく小さなな魚やザリガニをつってた)や琵琶湖かな(笑)



2011年05月14日
すし切りまつり
守山市幸津川町(さづかわちょう)の下新川(しもにいかわ)神社で毎年5月5日こどもの日に催される
すし切りまつり
国選択無形民俗文化財にも指定されている由緒ある神事です。
それはそれはすてきなお祭りでしたよ。
二人の若者が台に盛られた鮒鮨を古式にのっとった作法で切り分けていきます
直に手を触れず、長い箸と包丁を使って。
猛訓練したにちがいありません。

大役を務める二人は緊張した面持ち。
それを見守る地元のおじさんたち(すっかりできあがっている^^)から
厳しくとも温かい応援?が飛びます。

儀式の節目節目には拍手がわき、見物客もにぎやかにおしゃべりして、
地元に密着したお祭りだな~と実感したのでした。
子供たちがきれいに着飾って練り歩きます。

男衆が神輿をかついできました。
日の丸扇で調子を取るおじさん。

上はそろいの白い法被に、下は様々な和柄の腰巻?(って言うのか何て言うのか)
下新川神社
崇神(すじん)天皇の皇子、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が祀られています。
昔、皇子が海賊征伐の道中、幸津川で休んだ時、村人が鮒鮨で労を慰めたのが「すし切り」の始まりとか。
守山市幸津川町1356 077-585-3380
すし切りまつり
国選択無形民俗文化財にも指定されている由緒ある神事です。
それはそれはすてきなお祭りでしたよ。
二人の若者が台に盛られた鮒鮨を古式にのっとった作法で切り分けていきます

直に手を触れず、長い箸と包丁を使って。
猛訓練したにちがいありません。
大役を務める二人は緊張した面持ち。
それを見守る地元のおじさんたち(すっかりできあがっている^^)から
厳しくとも温かい応援?が飛びます。

儀式の節目節目には拍手がわき、見物客もにぎやかにおしゃべりして、
地元に密着したお祭りだな~と実感したのでした。
子供たちがきれいに着飾って練り歩きます。
男衆が神輿をかついできました。
日の丸扇で調子を取るおじさん。
上はそろいの白い法被に、下は様々な和柄の腰巻?(って言うのか何て言うのか)
下新川神社
崇神(すじん)天皇の皇子、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が祀られています。
昔、皇子が海賊征伐の道中、幸津川で休んだ時、村人が鮒鮨で労を慰めたのが「すし切り」の始まりとか。
守山市幸津川町1356 077-585-3380
2011年03月30日
フードマイレージゼロの県内産レモン
県内で減農薬レモンを栽培されている大井農園さん。今年からは無農薬での栽培に挑戦されます。暖房などの特別な設備も必要なく、販売も隣接のJAの直販所までご自身で運搬されるなど、環境負荷の低いレモン、ぜひ「購入することで応援」してあげてください。

田舎体験しが 掲載記事はこちらからどうぞ
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