鬼室神社
鬼室集斯(きしつしゅうし)
この風変わりな名前が私を古代の近江に誘います。
何を隠そう、韓流にはまっている私
滋賀に点在している渡来人の史跡にも興味津々なのさ
日野に取材に行ったついでに(というには随分遠回りしたけど)寄ってみました
660年に百済が滅亡すると、高位高官を含む百済人が多数亡命して、日野、蒲生の一帯に定住しました。
この中にいたのが
鬼室集斯
時は天智天皇の御代、大津に都を置いた近江朝廷は彼を重く用いました。
学識頭(ふみのつかさのかみ)、今で言う文部大臣に任ぜられ、日本の官史養成に務めました。
百済から、当時の最先端文化を伝えたのですね
のどかな田園風景の中に小さな神社があります
道がわかりにくい・・・場所なんですが、
地図
なんと曲がるポイントごとに
鬼室神社 귀실신사
とハングル併記で案内看板があり、それを見て難なくたどり着くことができました
きっと韓国の人がたくさん訪ねてくるのに違いない
でも帰り道の案内はない・・・振り返って見れば分かったのかな・・・ちょっと遠回りになってしまいました
鳥居と社殿 ごくごく普通の神社です
社殿の後ろに鬼室集斯の墓とされる祠があります
写真を撮り忘れました・・・
こちらをご覧ください
滋賀県観光協会
解説の看板
韓国風に彩色された 東屋
鬼室集斯の父、鬼室福信が祀られている韓国忠清南道扶余郡恩山面(チュンチョンナムドプヨグンウンザンミョン)と交流が行われているそうです。
境内に韓国の国花ムクゲが植えられていました
もっと詳しく知りたい方は
日野観光協会
私がこの神社に興味を持つきっかけになった本
司馬遼太郎「街道をゆく」第2巻 韓(から)のくに紀行
akiko
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