鬼室神社 

木野環境

2011年10月05日 10:00

鬼室集斯(きしつしゅうし) 
この風変わりな名前が私を古代の近江に誘います。
何を隠そう、韓流にはまっている私
滋賀に点在している渡来人の史跡にも興味津々なのさ

日野に取材に行ったついでに(というには随分遠回りしたけど)寄ってみました

660年に百済が滅亡すると、高位高官を含む百済人が多数亡命して、日野、蒲生の一帯に定住しました。
この中にいたのが鬼室集斯
時は天智天皇の御代、大津に都を置いた近江朝廷は彼を重く用いました。
学識頭(ふみのつかさのかみ)、今で言う文部大臣に任ぜられ、日本の官史養成に務めました。
百済から、当時の最先端文化を伝えたのですね

のどかな田園風景の中に小さな神社があります

道がわかりにくい・・・場所なんですが、地図

なんと曲がるポイントごとに
鬼室神社 귀실신사  
とハングル併記で案内看板があり、それを見て難なくたどり着くことができました
きっと韓国の人がたくさん訪ねてくるのに違いない
でも帰り道の案内はない・・・振り返って見れば分かったのかな・・・ちょっと遠回りになってしまいました



鳥居と社殿 ごくごく普通の神社です

社殿の後ろに鬼室集斯の墓とされる祠があります
写真を撮り忘れました・・・
こちらをご覧ください 滋賀県観光協会


解説の看板


韓国風に彩色された 東屋 

鬼室集斯の父、鬼室福信が祀られている韓国忠清南道扶余郡恩山面(チュンチョンナムドプヨグンウンザンミョン)と交流が行われているそうです。
境内に韓国の国花ムクゲが植えられていました

もっと詳しく知りたい方は
日野観光協会
私がこの神社に興味を持つきっかけになった本
司馬遼太郎「街道をゆく」第2巻 韓(から)のくに紀行 


akiko   

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