西野水道祭り(6/5の出来事 3の1/2)

木野環境

2011年07月07日 10:00

6月5日(日)のこと。
湖北の道の駅「塩津海道あぢかまの里」にてカイツブリに出会い(記事はコチラ!


その後、“お多賀さん”の愛称でおなじみ「多賀大社」のお田植祭へ(記事はコチラ!


この日、そもそもの目当ては長浜市高月町西野にて行われる「西野水道祭り」を見に行くことでした。

三面山に囲まれて 耕地ことごと水あえし
その惨状をおさめたる 治水の勲いざ歌え


西野水道を堀抜いた一大事業を今に伝える「西野水道歌」の一節です。

下の地図でもわかるように、三方を山で囲まれた高月町西野。雨のたびに洪水に悩まされてきました。

※画像をクリックするとGoogleMAPが開きます。
上の地形図の中程あたりでカーブして、琵琶湖沿いの山に隠れ、さらに琵琶湖に注いでいる川がわかりますか?それが「余呉川」です。その余呉川の琵琶湖への放水路。それが「西野水道」です。

年譜には、1783年・1807年に「洪水による大飢餓」とあります。
そして、1836年、西野水道の掘削が西野集落にて決定されました。

能登から石工を呼び、琵琶湖側から放水路を掘るも、岩盤の固さに阻まれ断念。
計画変更、村側から掘り進むも苦戦、2年経ち、石工は帰郷。
そして伊勢の石工に依頼し、さらに3年。
苦節5年。やっと貫通した西野水道は、今では県指定の文化財になっています。

この6月5日は「西野水道まつり」。当時の偉業を讃え、西野集落 充満寺や「ほりぬき公園」での法要、西野から西野水道までの時代行列・子ども神輿、小学生による「水道劇」が行われます。

お祭り&西野水道初体験これがこの日の目的です!!

田んぼの間を時代行列が歩いてきます。


昔の作業着姿でモッコを担いだり、荷車を押したりという仮装が見られます。
このあとに、子ども神輿がにぎやかに続きます

ほりぬき公園に入る前に「ハイ、チーズ!」
脚立に乗ったカメラマンさんが、行列のみんなを入れて撮影されました。
大人から子どもから、子ども神輿のあとのおばあちゃんたちまで!大集合の記念写真です


ほりぬき公園での法要の場でも、幅広い年代の方が参加されていました。

この公園にある石は、地域の小学校などの社会学習の際に、実際に削ってみて、当時の苦労を経験する役割があるそうです。

祭りに来られていた地元の方から、偉業を地域で伝えていく、残していく、そんな工夫を伺いました。

たーくさん聞いたお話し。
また追加取材に行くかも!?しれないので、今は残しておきます


さてさて、史蹟の西野水道に入るには。
公園に整備されている、ヘルメットと長靴、懐中電灯が必須です。
法要が終わってから、子どもたちや、私たちのような地域外からの観覧者がいそいそと準備を始めます。


慣れた調子で長靴を選び、懐中電灯片手にずんずんと。。。

なんとも果敢な子どもたち。。


長くなったので、西野水道の中の記事は2/2にてお送りします。GO!

kaori


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