木地師のふるさと
みなさんは
木地師(きじし)をご存じですか?
木地師とは
東近江市(旧永源寺町)の
君ヶ畑町と
蛭谷町、通称「小椋谷」といわれる地域は木地師の発祥の地といわれている。
木地師とは、江戸時代まで活躍していた、
ろくろなどの工具で椀や盆などの木地を作る職人だ。主に人里離れた山で生活しつつ
トチ、ブナ、ケヤキなどを伐り職業を営み、材が尽きれば家族で新しい山に移住した。木地師は山の八合目以上の木を伐採する自由、通行の自由、税の免除などの特権をもっていたという。
惟喬(これたか)親王伝説
伝説によれば、平安時代に文徳天皇の第一皇子、
惟喬(これたか)親王が皇位継承に敗れて小椋谷に隠棲し、住人に木地師の技術を伝えたという。のち木地師は全国に散っていき、それに伴い技術も広まった。例えば
会津の漆器は、日野出身の武将蒲生氏郷が、会津領主として赴任した際木地師を伴ったことが起源だという説がある。
支配所の成立
江戸時代には最も木地業が繁栄し、蛭谷と君ヶ畑に全国各地の木地師を保護・統括する
支配所が成立した。支配所の役人は全国の木地師を訪ね歩いて所属を確認し、手形を発行して木地師の身元を保証した。
木地師とその家族で、約6~7万人に達したという。
このように栄えていた木地師だが、 明治以降は技が廃れてしまった。
歴史物語 木地師のふるさと おしまい
akikoは、山深い東近江市
君ヶ畑と
蛭谷に取材に行ってきました。
運転が超得意ってわけじゃないから山道ちょっとどきどきしました・・・
筒井神社
惟喬親王が筒井峠に勧請した石清水八幡宮を明治に遷宮した
昔の人が使っていた手挽きのろくろ
次回は、木地師の技を甦らせた方のお話です
akiko
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